この自分の日記サイトをAIモデルで要約させると、そのまとめの中に必ず「体調不良についての記述や」とか書いてあって、やあねまったくとか思ったりしたんだけど、確かに自分はなんで日記に疲れてるとかなんとか書くわけなんだろうとか思った。
別にその時のことを淡々と書きたいだけなんだと思いつつも、なんかあるんだろうなとか思う。
体調という意味では花粉症もやっと終了しつつあり、そうなると心が、っていう感じではある。
子供の頃から自分の誕生日付近のこの時期には不安定になるのが決まっていて、半世紀も生きたらいい加減そんなことわかってはいるんだけど、わかってたからってなにができるわけでもない。
それでもなにかしら思い悩むことがあるのだけども、今回に関してはなにに悩んでいるのかわからない、という状態だ。
なにか不安感で落ち着かない中でずっとそれがなにか考えていたんだけどここ数日で、ああたぶん、自分はこれからどうやって生きていけばいいのかよくわからなくなってきているからこんなに迷っているんだな、と思ったんだった。
数日前に母の家に行った時、「あんたは結婚しないという強い意志を持ってるんだと思うからこのままね」と言われたりした。
強い意志を持っているわけじゃなくて、それがどういうことか未だによくわからなくて、よくわからないままなのにとても自分の人生や生活が劇的に変化するようなことをすることはできなくて、という感じなのだった。
創作活動をもっと頑張るとかそういったことはしたいと思うけれど、そういったことじゃなくて、これから誰かと、もしくは一人でどこでなにをして死んでいくのだろうということとか、なんのためにいま生きているんだろうとか、そんなことをずっと考えるんだった。
別に現在に絶望しているわけじゃないし、失望はしてるけど猫は生きているし日常にちょっとした面白い出来事やアイディアはあるんだけど、なんか根源的なことで引っかかってしまっているような気がする。
クーリエ・ジャポンで読んだ「『結婚』というインフラに頼ってきた世界の宗教が直面する『独身排除』の限界」(リンクは前半部分の抜粋)という記事では、宗教組織の構成員を再生産するために家族制度が利用され奨励されてきたけと、今や非婚化などでそういった仕組みが破綻を迎えており、独身者にも(これまでは不完全な人間として与えられてこなかった)聖職者としての地位を与えるような新しい制度設計を組織が迫られている、という話だった。
それを読んで、最近読んだチェ・ウニョンの短編集(「無理して頑張らなくても」)にある「夕暮れの散歩」という短編小説のことをちょっと思い出した。
こっちの方は、小学4年生の娘が突然「なんとなく。行きたいから」という理由で近所のカトリック教会に通いだし、教会の活動に熱心になっていく。けれどしばらくして、教会で子供が担う重要な役柄には男性しかつけないという慣習に直面して失望していく子供の姿をシングルマザーの母親の視点から描いた話だ。
少しだけずれるかもしれないけど、例えば1960年代から現在までにかけて新左翼セクトが内部で性暴力事件を繰り返してきたこととも関連があるような気がした。
けれど、規模やどの範囲を内輪と考えるのかに寄っても違うだろうけど、この小説にあるような、これまでの社会の中で動かしがたいと思われるほどに制度化された伝統的で差別的な組織が、こういったことで存続の危機にさらされているというのはちょっと笑っちゃうというか、興味深いと思ったんだった。
そして、そういったもの、もしくは今あるものの多くやもしかしたらホドン土全てがクーリエの記事にあるように、もうすでに自分たちのためにあるようなものではなくなっているのだと思う。
社民党や中道なんとかも含めて、もう、そういった既存のものは左翼であったとしても全部バラバラに解体したらいいのにと思ったりする。どうして自分たちがそれぞれの場所でそういった年寄りの青春の残滓のようなものを継承させられなくちゃいけないんだろうとも思う。
じゃあそうやって全てが解体されたあとに一体なにが残るんだろうと考えると、本当は自分たちがもう一度つながり直し、最初から考え直せるような場所を志向するしかないのかもしれないと思う。この歳になって。
団塊ジュニアでロストジェネレーションの自分たちの世代は、自分の上のいくつもの世代にそれこそ経済力や発言力からなにからを奪われて、自分の身を守るために組織に抱きつきながら生きるか詐欺師の情報に縋って騙され続けるかしかないような感じなんじゃないかって、少なくとも自分の肌感覚では思っている。
やだなあ、今からどうにかできないものなんだろうか。
自分は誰かとつながっていくようなものを持たず(友人関係、というのとはちょっとニュアンスが違う)、それを作れるような気もしないんだけど、そういったことをしていかないと本当にこれから生きていけないんじゃないかって気がすごくしている。
結婚していたり子供がいたりすると、つながりを求めなくてもよく、いざという時に心強いんだろうか。よくわかんない。想像もできない。
朝日新聞で去年から連載している「友達がいない? 悩める中高年」っていう記事はなんとなく読んでしまうけれど、なんだろう、読んでいるとなんとなく視野が狭いというか矮小化されてるというか、社会の大きな状況と接続されていくようなこともない記事だなって思ってしまった。
そうして今も心は苦しいわけだけど、そういったことを考えたり、なにかを実際にやり始めてみたりすることはたぶんこれから自分が生きていくのであればやらなくちゃいけないことなんだろうなって、それだけは確かなことのように思ったりするんだけど。
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