結構前の話になってしまうんだけど、5月の土曜日に、元同僚の友人Y岡さんが住んでる京都のシルバー劇団に入って、その公演があるからぜひ見に来てほしいと言われてそれを見に行ってきた。

“この先思い出されないかもしれない日のこと”のフライヤー

京都駅から鴨川の方に歩いていったところにあるTheatre E9 KYOTOというところであった、シニア劇団 銀宴の「“この先思い出されないかもしれない日のこと”」という公演だった。
考えてみたら小劇場で演劇を見るなんて、大昔に誘われて扇町ミュージアムスクエアで内輪ノリの現代劇を見た以来だったのだけど、それ以降演劇というのがちょっと苦手になってしまっていたんだと思う。
でもこの劇は存外に良くて、話は町の古いプラネタリウムの施設に集まる妙齢の大人たちが現在の話や過去の話をそれぞれで進行させていき、最後は同じプラネタリウムを見るということで一つに重なっていくというグランド・ホテルみたいなもので、びっくりするような事件はなにも起きないけれど、なんか妙に良かった。
台詞もなにか取ってつけたような感じがあまりなく、それぞれのキャラクターがうまく引き出されているなと思ったりもしつつ、それよりもそこからもうひとつ深い場所にある作品自体のテーマに観ている側が届いていくような感じがあって、観ている間や観たあとも、自分のこれまでやここからについてかなり考えさせられてしまったのだった。

帰りに京都駅と反対側の九条あたりの鴨川の河川敷を歩いた。
四条あたりとは全然違う落ち着いた雰囲気で、緑の葉を多くつけた木や草が歩道を取り囲み、そこから下を見ると落ち着いた水の流れや遠くにかかる陸橋なんかが見えたりして、そこを歩きながら、以前行った秋田の草生津川の風景と似ていてとてもいいなって思った。

Y岡さんは、本当に稀有な「こんなふうに自由に生きたっていいんだ」と思わせてくれる人で(劇中では融通の利かない真面目な男性を演じていたけれど)、まわりにそういう人間がいるかいないかで、人生って大きく変わっていくのかもしれないと思ったりする。
仕事の休憩時間に近くの公園に行ってギターを引きながら放歌したり、家族がいるのにいきなり家出して労働組合の事務所で寝泊まりし始めたり、そのあと「運命的な出会いがあった」ということですぐ再婚したり、一乗寺の家を突然買って上の階に学生を住まわせて一回をイベントスペースにしたり、よくわからない楽器を集めてそれを適当に鳴らすというバンドを結成して「この倍音いいよね」とか言っていたり、いきなり劇団に入ったり、まあそんなことだけでは全くうまく言い表せないんだけど、いつからなにをやったっていいんだなって常に思わせてくれるような人だ。

60-70年代安保世代だった親の知り合いには、この人どうやって生きているんだろうって人が昔はたくさんいて家族の周りを出入りしていて、そういった空気を小さい頃に吸っていたこともなにか自分に影響を与えていたのかもしれないと思う。
でもまあ、いまはこんな世の中なので、そもそも生きることに保守的であらざるを得ないのでそこはディフェンシブな人生になることは一定仕方がないのかもしれないけれど、なんだろう、例えば金持ちになってFIREして勝手に暮らしてる、みたいなのとは一緒にしないでくれって思うくらい自由さが違うと思う。
そんな人が周囲にいるような人は幸いで、トイ・ヨウの漫画「多聞さんのおかしなともだち」の主人公である内日さんの周りにいる、それこそ多聞さんのような人がもっといていいんじゃないかって思う。
それは、一緒にいて「人生ってこんなもんか」って全く思わせてくれないっていう人でもあって、自分の中ではそんな人やそうじゃないほとんど多くの人達を風通しの良さ/息苦しさ、みたいな感覚で捉えたりもしてしまう。
(ただまあ、それは人によるもので、その人にとって一番大事なものが近代的な家族のあり方というロールモデルと一致していたとしても、それで素晴らしいことだとは思う)
本当は自分自身がもっとそんな人間になりたいし、理由はわからないけれどならなくちゃいけないような気もしたりするんだけど、そんなところまで帰り道にずっと、考えていたのだった。