ここんとこはなんか毎日疲れてしまい、帰ったら8時とか9時には寝てしまっているのだけど、この前の連休の時に2日で24時間くらい寝た貯金があったからか、真夜中に目が冴えてしまった。
すぐに寝入ってしまえば気にならないのだけど、最近は寒いので寝床につくと布団の上にすぐ猫が乗り、足と足の間の隙間あたりに収まって文鎮のように動かなくなるので寝返りも打てず、そんななかでも身体をよじったりするんだけど結局寝付けなかった。
仕方がないので起きてきて、お湯を沸かしてお茶を入れながらこれを書いている。


10月の半ばくらいから11月の終わりまでは結構大変だなと思っていたんだけど、本当に大変で、なんか全ての休みどころか当直明けにも予定が入っていて、ほとんど家でゆっくりできたという記憶がなかったなって思う。
脳卒中の方の患者会の旅行にボランティアで参加、元職場の人達との小旅行、訪ねてくれた友人と出かけたり、同人誌の合評会に行ったり、同人の授賞式に参加したり、親友と国宝を見に行ったり、同僚とランチに行ったりその他と、人と会わない休日はほとんどなかった。
昨日の振替休日も、職場の関係のボランティアに呼ばれた。
午前中から夕方まで、自分の職場とつながりのある病院の92歳で亡くなった元院長の偲ぶ会というのが地域の大きな寺の本堂で行われて、それの手伝いをしていた。
椅子を並べる人手として呼ばれたくらいかと思っていたら、手渡された分担表に「音響:うさ山」と書かれていてびっくりしてこれはなんですかと聞くと、音響の操作なんかは住職に聞いてくれと言われて、触ったこともない音響装置を操作させられることになった。
なんとかなったもののとても緊張して疲れて、昼のシャケ弁当1個では到底割に合わないと思ったりはした。

自分が得意なことのひとつに、休みの日になにも予定がなくても全然平気、というのがあって、むしろない方がうれしいとすら思う。
じゃあここんとこのことはなんだったのかといえば、ボランティアの日も含めて貴重な経験だったなと素直に思ったりはしている。
できたら誰とも交わりたくない、という感覚と、やっぱり人と会って話をするってことはすごく刺激になるな、っていうのは両面あって、まあこんな時期もあってよかったなと思ったりする。
今月会った人の中には年に数回しか会えない人もいたわけだし、そういった周期が不思議に重なったんだろうなと思う。まあそうやって、予定されているものはほとんど全てが終わったんだった。


最近は疲れて寝る、ということであまり思うことは少なくはなったけど、1ヶ月前くらいは、もう少し気持ち的に不安定で、さみしすぎて真夜中に起きてドン・キホーテに行って、行ったはいいけどすることがないのでチーズとかお菓子とか意味のない食料品ばかり買い込んで、家に帰ってきて落ち込んでということをしてたりした。
誰かと会っているからとか一緒にいるからとか、自分の感じるさみしさはそういったものとはあまり関係がない。
なんかもうずっと、なんでさみしいのかとか、どうしたらさみしくなくなるのかということを考えているような気がする。
全くうまくは言えないのだけど、さみしくない状態というのは、自分が望むように孤独でいる、ということと両立していなければいけないんだろうなと思ったりはしている。
まあそんなことは半ば矛盾するような、手前勝手な話のような気はするんだけど、きっと、自ら結婚をしたいという気持ちに全くならないのも、こういったことと関係があるんだろうなとは思う。

Marriage for All Japanにdonateしていながらってことはあるんだけど、自分が本当に息のできるような関係性っていうのは現在あるような形の外側にあるか、まだ存在もしていないものなんだろうなって思う。
まだ形にされていないもの、カテゴライズされていないものが存在するかもしれないって思うことはとても難しいことで、でもそれを一つ一つ言葉にしていくことが(誰にも理解されたり顧みられないとしても)どれほど大切なことなのかってことは、この前「ユニヴァースのこども」を読んで改めて思ったことだった。