今日は仕事の帰りに駅前のジュンク堂に寄って、占い本コーナーで来年の星占いを立ち読みしたり、BIBLIOPHILICの雑貨コーナーでQ数表がついた栞というのを買おうか悩んだりしたあとに、はらだ有彩の「帰りに牛乳買ってきて」とチェ・ウニョンの「無理して頑張らなくても」と、町田粥の「発達障害なわたしたち」1巻を買って帰ってきた。
柴崎友香の短編集も探していたけどなくって、でも面白そうな本を買ったのでちょっといい気分で家に帰った。

今日は件の広報誌もついに校了して印刷に回すことができたし、職場の仕出し弁当が余ったとかで引き取ることになり、使い捨て容器じゃないこともあって職場でそれを夕飯として食べてから早めに退勤してきた。
ここ数日間は理由もないさみしさがまたとても強くなり苦しくなったりして、年末だからなのかな、と思ったりもしたけど今年は全然そんな感じがなくって、このまま行ったらあっという間に来年になるな、と思ったりした。
さみしいということは生きるということと同じ意味なので、まあ仕方がないって言えばそうなんだけど、困ったもんだなと思う。
そういった意味では、他人が自分のなにかを助けてくれるというようなことは全く思わない。そういった状況と引き換えに他人に「やさしい」とか言われるだけの人間で。
今日は気温が13度くらいでどうせ冬だったらもっと寒くなってくれたっていいのにと思って調べると、平年並みの気温らしかった。こんなものかと思いながら、少し寒いくらいの中を歩いてバスに乗った。

最近Instagramで男性がやっているぬいぐるみと古本の店、というのを見かけてフォローしたんだけど(ぬいつぎというお店)、今年はなんか改めて人生にぬいぐるみは必要だなとか思ったりしている。
なんでぬいぐるみを買っていないかというと(いくつか持ってはいるけども)猫を飼っているからで、じゃあ猫はぬいぐるみになるんだろうか、ということを帰り道にちょっと考えていた。
家に帰って、最近にしては珍しく玄関まで猫がやってきていて、4.5キロの体を抱きかかえながら、ふわふわして柔らかいけれど、なんか違うな、と思ったりした。
概念が違うんだろうかと思ったり、いや家族にしたり感情移入したりするという意味では似てるのかなとか思ったりしながら、でも本当に欲しいぬいぐるみを探したいなと思ったりするんだった。

風呂に入ってから買ってきた本を少しずつめくって読む。もう読みかけの本ばかりが机の上に乗っている。
中でも「帰りに牛乳買ってきて」は面白くてどんどん読んでしまう。本当にしょうもないエピソードばかりなのに、読んでいるうちに直接には描いていないけれど心を揺らすような感情がなぜか少しずつ立ち上がってくる。
作者(女性)とルームメイト(女性)が大学生の頃から20年一緒に暮らしている、その生活がただ描かれているエッセイ漫画なのだけど。
本当に偶然にも先週本を整理していて、やっと見つけた大好きなエッセイ漫画「おひとり様のふたり暮らし」(スタジオクゥ)を読んでいたところだった。
あの本も同じように女性2人が一緒に暮らしている生活を描いた話で、美大生だったってことや部屋の間取りとかがなんか似てるなとか、でも生活をどう書くかっていうことで言うと全然違うなとか、そんなことを思いながら読んでいる。
「おひとり様の―」を新刊で読んだ時(2015年頃)、ルームシェアがしたくてたまらなくなって、周りの人みんなにその話をしていたことがあったなって思い出したりした。
その頃も、誰に話しても微妙な顔しかされなかったなってことを覚えているけれど。