12月頃から久し振りにメンタルが悪くなっていき、この前まではかなり自分でも危ないなって思うような状態だった。
2週間前くらいにはなにかゴムのようなものを強く引っ張って、引っ張りすぎて切れてしまうんじゃないか、というような感覚の中で過ごしていて、かなり危険だなと思ったりもした。
年末年始の気分、ということもあっただろうし、そういえば去年の今頃も思い返せばかなり悲惨だったなとは思うんだけど、一つだけ事情が違うことがあった。
去年小説の同人誌の同人になってから、はじめて小説作品を締め切りまでに書かなくちゃいけないということになった。
わたしはひそかに書いているような顔をして、もう20年は小説を書いたことがなかった。前に書いたのは大阪文学学校にいた頃だったから、本当にそれからなにひとつ書いていなかった。
こうやって日記を書いたりすることや、現代詩の同人誌に参加していることも、いや、これまで色々なことがありながら生きてきたこと自体がいつもなんとなく、それらは全ていつか書かれるべき小説のためにあるんだと思ってきたというのは確かだった。
そして、例えばこうやって日記を書く、ちょっと長めの散文詩を書く、といったことと小説を書くこととは自分の中では全く別のものだった。それは、実際に書き始めてみてことさらにそんなことを思わされた。
最初の締切は去年の9月で、そういった頃からなにを書いたらいいのか、どうやって書けばいいのかについて常にずっと、考えてきていたような気がする。
本当に書けるのかもわからず、なんかもう無理なんじゃないかという絶望に近い気持ちの中で年末を迎えて、1月になって、それが月末になったんだった。
小説は、書き始めても難しくて、本当に20年前の感覚なんて全く忘れちゃってるわけで、もうゼロから考えながら、本当に小さな、どうってことない場面をメインにして書こうと思って試みた。
先月末には毎年行っている墓参りで東京に行き、せっかく二泊三日にしたのに真ん中の日はずっと宿にいて、小説のことをずっと考えながらも全然進まず夕方あたりにかなり精神的にパニックに近い状態になったので外に出た。
宿から歩いてちょっとのところにある天下寿司に行って、他の知らない人たちと一緒にカウンターに座って適当に寿司を食べて、そのあと斜向かいの古本屋に入って本を3冊買い、ゆりあぺむぺるでプリンを食べながらコーヒーを飲んで買った本を読んで、そのあと回転寿司屋の隣くらいにある違う古本屋に行ってまた本を買って、それから駅前のパン屋に寄って美味しそうなパンを買ってきて宿に戻ってくると、やっと気持ちが落ち着いていたんだった。
次の日の朝、寒い中で井の頭公園を歩いたりベンチに座ったりしながら池の鴨を見ていたら、地元の職場の裏の川に生息している鳥とほとんど同じ種類だってことを発見したりした。
セントラルパークの鴨はどこかに行くけれど、ここの鴨はどこにも行かないで、自分は毎年それを眺めている。
それにしても書いていても全く一気に進むことはなくて、まるで霧の中を少しずつ歩いていくような感覚だった。
結局は設定された1月末の締切を過ぎて、その1週間後の週末についに終わらせることができた。
そこまでして書けたのが原稿用紙で20枚にも満たない作品だってんだから笑ってしまうけど、それでもなんかその時は、完成させられたことがあまり信じられないような気持ちでいた。
昨日の日曜日に、同人の例会があって、ものすごく上手くてテーマ設定も現代的で自分好みのものを書く同人の人が出した70枚超の作品と、そのあとに自分の作品の合評をした。
これも20年ぶりになるんだけど、本になる前の小説の合評って、感想を聞くだけではなく書き方とか構成とかについての相談とか、そんなことも聞いていいんだなって思ったりして、すごく励みになった。というか、いいところもかなり言ってもらえて、一方でどうなのかという部分もちゃんと言ってもらえて、ということがあって、本当にありがたいなと思った。
二次会でも色々と作品のことや、前回に引き続き小説同人誌界隈の話を興味深く聞いたりしたのだけど、やっと作品を出してそういった人たちの末席にいることが許されるのかもしれないという思いになったりした。
こうやって長々話してるようなことは本当に自分以外の人間にとってはほんの些細なことで、でも自分には小説を書くということにずっと囚われながらそれを思い続けて来ながらできなかったこれまでを思うと、書きたい、から書けた、書ける、ということに変わったっていうこと自体が本当にエポックのようなもので、今でもそれに関しては自分えらい、と思ったりするんだった。
本当にここ2、3ヶ月は小説を書くことばかり考えていて、日記も書かないし本も漫画もあまり(少しは読んでたけど)読まないままで、生活もダイエットとか自炊とかそんなことも全く後回しにしていたような状態だった。
去年50歳になった時に思ったのは、一旦死にたい、ということだったんだけど、去年の年末くらいには、これからの人生を前向きに考えることを一度やめて50年生きたところで人生を一旦終わったことにして、「これまでにあったことをひたすら書きながら生きてる人」みたいになってもいいな、それが自分が一旦死んだってことなのかもしれない、と思ったりしたのだった。
これまでにあったうまくいったことやいかなかったこと、心が通じ合ったと思ったことやそうじゃなかったこと、そんな様々がどこに収斂していくのかといえば自分にとっては早計だと言われても結局は書くということでしかなかったので、過去を振り返ってどうとか言うことは本当は全然好きなことじゃないんだけど(なのに書こうとしていたんだけど、だからこそ書けなかったのかもしれない)、もういいよ、これまでにあったことを一つづつ思い出して定着させていくっていう人生を送ってやるよ、と思っている。
その中で、万が一自分が予想もしていなかったことがこれからあるのかもしれないし、という、前向きかそうじゃないのかわからないことを考えながら、もう次の話を書きたいと今日はずっと思っていたよ。
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