依然として精神があまりよくないまま毎日を過ごしている。
先週は心身が思わしくなさすぎて仕事を休んで一日中寝続けていたり、連休も日曜日はずっと寝続けていた。
そうしたら、祝日の月曜日の昼頃にはちょっと前向きな考えが浮かぶくらいまでには回復してきた。
今日も、普通に話をしている時に突然めまいのようなものがして倒れてしまいそうになる。
こういった時にはどんな些細な情報でも自分を深く落ち込ませるような要素になる。
あまりにも酷すぎて選挙以来ニュースをほとんど読まなくなってしまったけれど、軍備を増強するからって戦争をするわけじゃないと言ったお笑い芸人が称賛されているとかいう見出しを見て、新潮だからそんなもんだと思いながらもちょっと吐き気を催したりする。
まさか生きているうちに、戦争に反対するなんていう手垢のついた言葉が突然現実の言葉として息を吹き返すなんて思いもしなかった。生きてみるもんで、本当の絶望はこれからなのかもしれない。
戦争やそこに繋がる行為に抗う人間を嗤えば頭がいいように見えるとか、心底終わってるなと思いながら、これからはあの時に自分はなにをしたか、なにを言っていたかということが本当に重要になるような世界に生きているんだろうなって思うんだった。
InstagramでずっとフォローしてTHE NEW YORKERの表紙などを楽しく見ていたエイドリアン・トミネのコミック「サマーブロンド」を思い立ってこの前買ってみたんだけど、読んだらかなり暗くて陰鬱で、救いがあるのかもよくわからないようなストーリーが本当にいいなと思った。
モテないことがコンプレックスの売れない作家の男が高校時代からこだわりをもっている女性の家を訪ねていき、そこにいたその女性の妹と関係を持ってしまい、そのことが付き合っている彼女に発覚してしまうという話、人とちゃんと話をすることができなくて仕事もコミュニティでも関係を作れずに、アパートの部屋から公衆電話にいたずら電話をかけ続けることを楽しみにする女の話など、人間はささやかだけど底のない欲望を抱えていて、そのことでただ苦しみながら生きているということがそのまま描かれている。
なんかこれは、去年読んだ古い小説「ワインズバーグ・オハイオ」にも似ている気がした。
生死の境を彷徨う時代から抜けても、その後には人間らしい苦しみがどこにだって待ち構えている。それは25年前だって100年前だって結局は同じなのかもしれない。
ずっと読者になろうと思っていたままだった姫乃たまのnoteのサブスクに入ったので定期的に日記を読むことができるようになった。
コミックビームが好きな人はたいていが姫乃たまを好きなんじゃないかと勝手に思っているんだけど、最新の日記では作者がかなりぎりぎりの状態にあったことが赤裸々に、でも他の日とあまり変わらないトーンで書かれていた。
気持ちが辛い時には読める文章とそうでない文章とがあるけれど、パジャマを着たまま泣きながら街を彷徨う気持ちは、読んでいる自分の気分と無関係なものでもないなあと思うんだった。
姫乃たまは「ランバーロール」7号に載っていた小説も面白かったので、いつかあまり明るくないような小説も書いてくれないだろうかと思う。
昨日はゲーム好きの仲のいい同僚に誘われて、PS5で「REANIMAL」というホラーゲームをプレイするところをオンライン越しに見る。
「リトルナイトメア」というかわいくて不気味なホラーゲームシリーズを生み出してきた会社の新作で、話をしながらあのバスタブの中に隠れたらいいんじゃないとか、その車って動かせるんじゃないとか、そんなことを言いながら何時間か過ごす。
こういう他人がやっているゲームを見るのって、退屈な時もあるんだけど、昨日はスピーカーで話をしながら残虐と言うほどではないけれど暗くて怖いホラーゲームの画面を見ていたりしていると、不思議に気持ちが紛れたりした。
コメントを残す