買ってきて植え替えたあと全ての葉が枯れてしまったオリーブの苗は、それでも根はちゃんとしていたので諦めずに水をやっていたら、ある時に枝の下の方から小さい葉が出ていることを見つけて、それからもちゃんと観察したり手入れを続けている。
まだ生えてきている葉の色は裏が白かったりするオリーブではないのだけど、かなり歯の数も増えてきて、諦めずにいてよかったと思う。
こういったことは、なんの意味があるんだろうと思いながら丁寧にやっていることが結果をみるという事象の一形態なのかもしれない。
住んでる部屋がある建物の道向かいが中学校なのだけど、体育館やプールから運動部や授業の声だけが聞こえてきて、それを部屋の中で聞いている。
夜中になると駅前の居酒屋から出てきたばかりのような年齢もまちまちな人たちが、大声で機嫌よく話している声が聞こえてきたりもする。
猫はアイロンを掛けるときとかに座っている背の低いスツールの上に乗って、カーテンの隙間からそういった風景をいつも見ている。

年明けに吉祥寺駅の近くにある古本屋で買った、大島弓子の「秋日子かく語りき」(2003年版)をなにげに読んでいて、ちょっと泣いてしまった。
暴走自動車にはねられて高校2年生の秋日子と54歳の主婦である竜子は同時に天国に行くんだけど、秋日子は幸運にも軽症だったらしく、すぐに帰りなさいと言われてしまうんだけど、まだ死ぬわけにはいかないと竜子が強く言ったので、一週間だけ竜子は秋日子の体を借りて現世に戻ることになる。
現世に竜子が戻ると、秋日子がおばさんみたいになって、これまでの周囲の秋日子のイメージをぶっこわしつつも自分が心残りだったことを叶えようとしていく。
自分がこの漫画を読んだのは20歳前後の頃で、なんだろうこのおばさん的な秋日子の厚かましさは、と思いながら、その友人薬子が秘めている思いに共感しながら読んだりしていた。
それが、50歳になってしまった今読むと全然違ってて。
秋日子の体を借りた竜子が一週間の間にしようとしていたことは、今まで自分がしてきたことって本当に間違ってなかったよね、ってことをただ確認したい、ってことだったと思う。
それは当然わたしの人生って間違ってなかったよね、ってことでもあって、でもそんなこと誰にもわかんないから誰も教えてくれないわけで、でもそれを竜子は必死で探そうとする。
それで、この時期に角川から発表された他の大島弓子の読み切りと同様にこの話にも、主人公に絶対に諦めさせないっていう作者の恐ろしいくらい強い思いが貫かれていたってことに、今更ながら気付いたりしたんだった。
なんでそんなことになってしまったのかはわからないんだけど、竜子の思いはあることで叶えられて、もうすぐ約束の一週間が終わる、っていう時間になって、またもやおばさん化した秋日子がいきなり突拍子もないことを言い始める。
それは、かつてできなかったことって、今からでもできるしやってもいいよね? って話でもあるんじゃないかなってすごく思って、それで本当に自分のほうが身も蓋もないかもしれないけど、自分だってフォークダンスしたいな、とかって読みながら思って、それで泣いてしまったんだった。
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