おくやまゆかの漫画「コットリコトコ」は、連載している時から好きで読んでいて、3年前に単行本が出てすぐに買って、それからずっと読んできた。
本棚の目につくところにいつも置いてあって、いつか読み直そうと背表紙を見て思い、実際にたまに引っ張り出してきて最初から最後まで3回くらい読み直す。
妻と夫と息子と娘の4人家族のなんてことない日々がユーモアと不思議で描かれている、ちょっと短めの話が15話収録されている。
面白い漫画にも色々と種類があると思うんだけど、「コットリコトコ」は何度でも読み返して、その度に新鮮で面白い、というタイプの漫画だ。
全話大好きなのだけど、たとえば近所の人からもらったアスパラを茹でて、切っておやつに出したら夫も子供たちも軸ばっかり食べて穂先を食べない。なんでみんなそっちなの? って聞くと「茎のが好きだもん」って言われる話とかは特に好きだ。
みんなが穂先が好きだと思って遠慮して軸ばっかり食べてたのに、実はそうじゃなかったなんて! という、いやまあそれだけの話なのに、不思議なことにそれがすごく面白い。
他にも、長男のタイチが隣の家のDVDを見て落語を覚えてきて、家で家族に得意になって一席披露したりするのを見て、妹のコトコが対抗心を燃やして自分も覚えたいと隣の家に行く。
そうしたらたまたま落語のDVDを再生できなくて、代わりに枕草子の朗読を聴いて覚えてくる。ほめられたコトコは調子に乗って奥の細道とか平家物語とかを次々に暗唱するようになって、幼稚園でも家でもずっとうなり続けるようになる。
みんながそろそろやめてもらえないかなと思い出していた頃、お隣の家でもコトコに聴かせるCDがなくなってきて、ついにはオバマ演説集を取り出してくる、という話も大好きだ。
さらにはこういった話ばかりではなく、ちょっと不思議だったり心をくすぐられるような話とかもある。
ずっと読んでいて、この漫画の面白さをなかなか言葉で伝えることができなかったんだけど、この頃は、これってまさに現代の落語みたいなものだなって思うようになっている。
自分が子供の頃によく読んでいた本に、(六代目)柳亭燕路の「子ども落語」シリーズがあるんだけど、まんじゅう怖いとか有名なネタが子供でもわかりやすいように物語仕立てにして書かれているポプラ社の少し版の大きい文庫で、二俣英五郎のかわいいイラストと相まって好きで何度も読み返していた。
変な感覚なのだけど、「コットリコトコ」を読んでいるとそんな面白さとが自分の中でつながる気がするのだった。
と、これまではそういうように楽しく読んでいたんだけど、最近読み返したら、不思議な気持ちになってしまうようになった。
この漫画はほとんどの話が現代の話なのか、それとも自分たちが生きたある時代の話なのかがわからないように描かれている。
ノートパソコンとかオバマとか、そんなものが出てくるのになぜか懐かしくて、かつて自分が子どもとして過ごしてきた家族との日々と、どこかしこで呼応するようなものを感じる。
一方で親であるユッコとソウちゃんの感覚でも読むわけなのだけど、自分は独り身なので大人である2人に共感できても親という立場からする思い、というものはよくわからない。
ただ、それなのになんとなくそこに、形もなくて脆く、いいことばかりではなくてもかけがえのないようなものばかりが存在しているということだけはわかって、それだけのことで本当に胸が締めつけられるような気持ちになるんだった。
一番最後に収められた話では、タイチやコトコたちの10数年後が描かれる。
大人になった2人がどう描かれているのか、そして、物語全体がどう一旦の着地をみるのかはとても面白いのでぜひ読んでほしいのだけど、この最終話の展開以上に読み手はこの物語の中と、そして自分の内側と外側にある時間を行き来しながら、そのうちにわずかほどの優しさでなにかの感情に触れられてしまうという、そんな不思議を経験するのかもしれない。
コットリコトコ / おくやまゆか
小学館 1180円(電子版:1155円)