
先日小説の同人誌の外部合評の際に、二次会のバーで話をしたあまざき葉さんから早速「文學界」が送られてきたので、早く自分の詩の同人誌も送り返そうと思いながら、一昨年の引っ越しのときにどこかに紛れてしまってそれが一向に出てこない。
引っ越しの時整理がつかなかった荷物は奥の和室に全て放り込んであって、少しずつ崩しているものの未だに段ボールの山が積まれている状態だ。
探しているときに、違う探し物のパスポートが発掘された。
去年の夏休みに台湾でも行こうと思ってちょっと探したんだけど、パスポートが見つからなかったので結局浜松に行った。
もうパスポートにはハンコ押さないんだって、という同僚がしていた話を思い出しながら、もう何年も前の話なんだなあと思いながらめくって中を見たりした。
同人誌「ignea」11号から文學界2024年12月号に転載されたあまざき葉さんの「掌編小説集 ゆれあうからだ」は、6つの短い掌編で構成されていた。
三つ編みを2人で舐めて味を確かめあったり、壁についていた鼻を自分の鼻につけたら自分の鼻になってしまったり、口が大きく開いて反転してめくれあがって体の内側と外側が反転してしまったり、そんな生々しい話とともに、失恋してしまった友人が寒天状に透き通って主人公「わたし」にずっとまとわりついて四六時中話を聞いてもらおうとする、というような話もある。
「からだ」というくらいだから読み手が持っているような身体的感覚を思い起こさせながら読んでいく感じなのかなと想像しながらだったんだけど、意外とその感覚の幅は広く、なるほどなあと思わされた。
作者は「からだ」の感覚のひとつとして、前から来た人を避けようとして踏み出した方向に相手も一歩踏み出してきた、というものまで含めていて、なんだか読んでいて妙に風通しのいいものを感じたし、全体を読んで残ってくる手触りは、その掌編のそれぞれというよりは作者の語りという形の身体感覚そのものなのかもしれないなあと思ったりした。
あと、この小説と関連はないんだけど、なんか「からだ」をテーマにした作品がとても印象に残っているんだけどなんだったかな、とそのあと考えていて、ああそうだ、安永知澄の「やさしいからだ」だ、と思いついたりした。
久しぶりに読み返したいけど本は段ボールのどこかに入っているのでAmazonを調べていたら、かなりちゃんと電子書籍化されていて、さらにはkindle unlimitedになっているものまであった。
持っていないもののあったので、この機会に全部読んで、できたら紙でほしいなあと思った。
安永知澄は今でも「ランバーロール」誌などですごい切れ味の作品を出し続けているけれど、これらもなにかまとまった形になってくれないかなあとか思ったりもした。
昨日は当直明けで一旦帰って猫を触りながら寝て、午後から昭和町にあるシェア型書店「みつばち古書部」に行く。
売上の精算と棚代の支払いをして、そのときに初めて古書リバーズ・ブックさんと少しだけ話ができる。
この2ヶ月くらいの間に自分の棚からいくつか売れていて、その売上から棚代に充てて、残りで現代詩文庫の平田俊子と、大橋裕之の漫画を買った。
帰りにせっかく来たんだから地元の店で食べたいなと思って少し彷徨って、前から気になっていたラーメン屋に入る。
そこはL字型のカウンターだけの静かな活気があるような店で、昭和の感じが漂う薄暗い店内にはそこそこ人がいたけれど、若い人は誰もいなかった。
テレビはなくてFMがずっとかかっていて、よく考えれば愛想がいいのではないかと思えるくらいに抑えられた接客をする店主が水を置いたテーブルには、S&Bのコショーの缶とか餃子のタレとか白ごまが入ったスリッキーNなんかが置いてあった。
ラーメンに強いこだわりがないことを示すように、ラーメンはとんこつや塩、醤油に味噌となんでもあったけれど、もしかしたらおすすめかもしれないと思って一番左上のラーメンと餃子を頼んだ。
出てきたとんこつラーメンは家系ラーメンのように酸味のある不思議な味で、気安いラーメン屋にあるようないかにもという黄色い縮れ麺と合わさって普通においしいといった感じだった。
でも、店内にいて不思議だったのは、その店は何故かとても落ち着いたってことだった。
この前吉祥寺のサンロードにあるもがめ食堂に行ったときもそう思ったんだけど、そんなにゆっくりと過ごせるような店ではないのに、料理が出てくるのを待っているとき、食べているときに何故か妙にリラックスするというか落ち着くというか、そんな感覚のする店ってあるんだなって思った。
この店もまさにそんな店で、店の人も普通で、別におしゃれな家具とか差し込む光とかもなんにもないのに「自由でなんというか救われて」いるかどうかはわからないけれど、そのひとときが落ち着くという感覚は、それに近いのかなあと思ったりした。
この店の餃子はすごくおいしかったので、ちゃんと作られたおいしいものが出てくると、そういった気持ちになるのかなとか縷縷考えたりした。