明日までの遅い夏休みで5連休ということでずっと家にいる。
明日くらいは外出して京都でやってる大津萌乃の個展とtoi booksとそこでやっている「ランバーロール展」に行こうかなと思っている。
これまでの4日間の休み中はだいたい寝ていて、合間に洗い物とか洗濯とか掃除とか、仕事してるとほとんどちゃんとできていなかったようなことをしていた。
生活が一旦停滞したり疎かになると、なかなかそこから持ち直すのが難しくなるけれど、2年前に引っ越してきたときから、そこだけは諦めずにちゃんとしようと思っていて、いまさらながらに人が日曜日の朝から部屋中を掃除している意味がわかったりしたんだった。
最初の3日はほとんど家で寝ていて、でもそれは必要だったなって思う。
寝て余裕ができたから扇風機を解体してきれいにしたり、うまくいっていなかったスマホから家電を操作するアプリの設定をやりなおしたり、先延ばしにしていた予定を立てたりした。

今年になってから人に本を紹介されることが多くなって、最初は感想のために読んでいることが多かったんだけど、それでも面白くなってきて、夏前から毎日なんらかの小説を読んでいるようになった。
昔から漫画でもそうなのだけど、ちょっとしたシーンとかエピソードに心が引っかかり、本を閉じてそのことを頭の中で転がしたり考えたり、先を読むのが怖くなったりして、なかなか進まない。
Xで植田りょうたろうが、本をちょっと読んだらその内容を頭の中で(架空の)誰かに話して聞かせてしまう、というようなことを描いていて、本当にそうだなって思った。
他の人はどうなのか未だにわからないけど、本当に子供の頃からわたしも頭の中で常に喋っている自分がいてうるさかった。
あとは、高島鈴がちょっと前にどこか忘れたけどSNSで、本は読みきらなくってもいいよ、というようなことを言っていて、ああそうだなあと思ったりした。
そんなことがあって、本当に久しぶりな感じで本をずっと読んでいたり、面白そうな本を探したりすることをするようになった。
読んでいて思うのは、本の側からは拒まれてはいなかったんだな、ってことだ。
最近は気持ちが不安定なときも多いのだけど、本は大抵がそんなに難しくない言葉のセットで書かれていて、それを順番に読み進めていけばいい。そのことが、とても自分には開かれていて優しいことのように思えたんだった。
というわけで、何冊かの本を並行してちょっとずつ読んでいる、という状態なのだった。

最近読んだ本では、「ユニヴァースのこども」がとてもよかった。
中井敦子さんと森岡素直さんの2人が編集者に向けて送ったボイスレターが文字に起こされたもので、「戸籍上は女性」の2人が自分の性をどう見つめてきたのか、どんな心の変化と周囲との繋がりによってこどもを迎えることになったのかについて語られている本だ。
興味深いとかそんなことではなくて、ほとんど全てを自分のことだと思って読んだ。
どれだけセクマイに関する理解や説明する言葉ができても、そこにうまく収まらない苦しさを抱えて、最後には多分わがままな自己表現がしたいだけなんだろうな、ってところまで思って「そのままでいる」だけのことを諦めようとしている自分のような人がいたら、本当に読んでほしい。
あなたと一緒にこれまであなたが生きてきた日々のことを考えて、そのあとでも絶対にあなたをカテゴライズしようとしない人たちが、少なくともここにはいる。