うさぎ式読書日記250110

どうやったらさみしい写真が撮れるんだろうっていうことを、街中を歩きながらずっと考えている。
あと、なんか踊りたいって思っている。
自分を大切にしていきたいと思うし、ここからの残りは全く新しい人と全く新しい関係を作れたらいいとか思う。
そういったことをずっと年末から今にかけて考えている。
去年は「今年どうしよう」と思ってから1年間ずっとそればかり考えていたような年だった。
だから、本当にいい加減にあたりをつけたら、今年はやり始めようと思う。

年末に読んでとても心を打たれたり、印象に残った記事があった。
ひとつはこれだ。

ドキュメンタリー映画「94歳のゲイ」の主演でもあった長谷忠さんの生涯をまとめた記事だ。
映画の存在は知っていたけれど、悩んでいるうちに上映期間が終わってしまった。
なんで悩んでいたかと言うと、最近になって自分の性自認について改めて明確になってきて、男性として生まれて男性が好き、ということではないなってことがある程度わかってきたようなところがあったからだ。
ゲイ、として描かれる場合、そういったSOGIに位置する人が圧倒的に多い。
昔から、強いシンパシーを抱きながらも「自分と近いけど全く同じじゃないな」と思ってきたことが、少しずつクリアになってきたような気がしていて、そうしたらこれまで、集団のどこに自分を位置づけようとしてもいつも疎外感があったってことの意味が、わかってきたような気がしたんだった。
だから、興味はありつつも、自分とはちょっと違うんだろうなって思ってたのもあったのだった。毎日新聞のこの記事を読んで驚いたのは、長谷さんが大阪ゲイコミュニティ(OGC)という団体に参加していた時のことについて、
「自分の心は女で男に愛されたいと話す長谷さんと、男として生まれて男に愛されたいと話すOGCのメンバーとの間で認識の違いがあり、居心地が悪そうでもあった」
と書かれていたことだ。
私はそんなアイデンティティを持っている人だなんて思ってもいなかったので、すごい衝撃を受けた。この人は自分と同じような思いで人生を送ってきたんだ、と思って、ちょっと呆然としたんだった。
そしてそのうえで、長谷さんの人生はとんでもなく美しい人生だったんだなと思って、しばらく胸が苦しかった。
長谷さんが生きているうちに、正直であろうとした自分という存在はやっと社会的に認知がされていき、95歳まで生きたことでなんとか届いたんだと思う。それは本当によかった。
その今現在であっても、自分がそのままの自分として生きていくということが容易な人間と、その存在すらないことにされる人間とがいる。男からも女からも疎外され続けるような社会の中を生ききった人生の思いは、他の誰にも伝わらないとしても、自分にだけは確実に伝わったんだと思った。


もう一つは、かなり前に発表されたこの記事だった。

愛しているから結婚する、という感覚があると思うんだけど、そのことが多分生まれてからずっとわからなかった。
愛しているから結婚したい、ということは昔からずっと自分の周囲でもつき合っている人とでも話はあって、多分世の中にいるほぼ全員がそう思っているんじゃないか、というくらいの感覚がある。私だって、「だってうさ山さんはわたしと結婚してくれるわけじゃないんやろ」と言われたこともあった。
自分の中にはものすごく好き、とか、一緒に暮らしたい、とかいう感情はあっても、すごく結婚したい、という感情が生まれてくることはなかった。相手が喜んでくれるのなら結婚したい、と思ったことはあったけれど。
「いつかは本当に『結婚したい』と思う人が現れるんだろうか」とか思うこともあったけれど、段々と、きっと自分はそういうことじゃない、ってことに気付くようになってきた。
好きだから一緒にいたい、好きだから一緒に暮らしたい、まではわかるけど、姓が変わったり戸籍上同一になったりする、ということによる制度上の優遇制度と愛とがどう関連するのかが本当にわからなかった。
愛は個人の思いなのにどうして国からの愛への承認が必要なの? って。
でも、これまで生きてきて、自分と同じような感覚を持っている人には一人も出会ったことがなくて(まあ、そういった話をすべての人としているわけではないんだけども)、自分はそういった意味でなにか異常な感覚を持っているか、根本的になにか間違った考えを持っている人間なんだろうな、って密かに思ってきた。
そういったことを正直に誰かに伝えるってことは、自分が本当に相手のことを好きだと思っている気持ち自体が疑われてしまうかもしれないということだから怖かった。そして、自分はそんなにこの人のことを好きじゃないということなんだろうかとまで思い始めてしまうようになる。
自分で思っていないことや納得のいかないことを隠して我慢する、ということは本当に精神的に辛いことで、けれどそういった気持ちを相手に伝えるということは誠実どころかほぼ逆の意味になってしまうだろうと思った。

そう、あまりに普通で正常な感覚として「とても好き→結婚する」があって、でも自分はその飛躍がどういうわけか一切理解できなかった。親が唯物論者だからそういった感覚になったんだろうか、と思ったりもしつつ、もっと生来的なものなんじゃないかとすら思う。
そういったことを並べて書いてみると、もうこれはほとんどセクシュアリティみたいな話になってしまう。でも、そういったものは今時点では正確に存在していない。
Relationship Anarchyとか、polyamoryとか、そのあたりが近いとは思うけど、なんか、主義じゃないんだよな、って思う。
自分の昔から当たり前に持っている感覚が、社会の多数と大きくずれているらしい、ってことだ。

と、いうようなことを最近そう思っていてたまに調べていたら、昨年の年末頃にこの記事を見つけた。
私は2年くらい、Marrage for All Japanに継続的に毎月寄付を行っていて、最初から自分の思いとは若干矛盾するなと思いながらも、現状の差別的な制度がいち早く改正されてほしいという強い思いがある。
そういった気持ちの矛盾をどう説明したらいいんだろう、ということも実はこの記事では本当に丁寧に、順序立てて説明がされていたので驚いた。
ここまで自分と同じことを思っていた人を初めて見つけたと思った。

これまで(もうすぐ)50年間生きてきて、その間になかったとされてきたことに対してちゃんと位置づけがされて、そのことで救われたことがいくつもあったと思う。
「ボールアンドチェイン」のように、自分がただ、本当に普通にそういった状態で「あって」、そのままで生きたいということをちゃんと表現していきたいなと思う。
そのことを他人がジャッジしたり許可するようなことはあってはならないと思うし、自分自身がマジョリティの傲慢さや欺瞞を持って他人と接していないかを常に問い続けなくちゃいけないって、ずっと考えている。

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